|
|
『雄弁』を成功させた清治が次に考えたのが、「講談や落語のように一般大衆に親しまれている娯楽を活字にした雑誌ができないだろうか」ということだった。 『南総里見八犬伝』のような勧善懲悪の活劇モノや、『忠臣蔵』のような仁義忠孝の伝説などを講談師が語り聞かせるのが講談である。同じ落語でも落語家によって、差し挟む小話やストーリー展開が微妙に違ってくるように、講談師の特徴によって民衆からの人気の度合いも違った。 「滑稽な物語とか、日常生活のユーモアとか、洒落に満ちた話。こういうものも、人生には欠かせない。『笑い』の価値は意外に大きいということを忘れてはいけない。これがないと、人間にも世間にも味がなくなるし余裕(ゆとり)がなくなってしまう」 清治は硬派の雑誌、軟派な雑誌、いずれも人生に必要だと看破していた。『雄弁』で政治家や知識人の演説を雑誌に掲載した彼が、より大衆的な“娯楽”“笑い”を活字にしたいと考えたのは当然だろう。 こうした経緯を経て、清治が創刊したふたつめの雑誌が『講談倶楽部』である。 | |