上野修『哲学者たちのワンダーランド 様相の十七世紀』
格闘する大哲学者のプロジェクト!
デカルト、スピノザ、ホッブズのプロジェクトと修復するライプニッツ!
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序章 世界の底が抜けたとき
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第一部 デカルト
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第1章 確実性に取り憑かれて
第2章 不可能に出会うこと
第3章 私はある、私は存在する
第4章 無根拠なる支えとしての神
第5章 心身問題とその彼方
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第二部 スピノザ
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第6章 光がそれ自身と闇とを顕わすように
第7章 「現実」を作ってみる
第8章 私ではなく無頭の神が……
第9章 精神は自分の外にいる
第10章 証明の秘儀
第11章 敬虔なるマキャベリスト
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第三部 ホッブズ
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第12章 国家論へ──ホッブズとスピノザ
第13章 哲学はシミュレーション
第14章 意志がなかったとは言わせない
第15章 契約の論理
第16章 約束という暴力
第17章 ふたたびホッブズとスピノザ
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第四部 ライプニッツ
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第18章 ライプニッツ、あるいは世界の修復
第19章 スピノザの崖っぷちから引き返す
第20章 世界の奥行きを創出する
第21章 ここが最善世界であるかのように
第22章 連続体の迷宮
第23章 魂の深さ、世界の深さ
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終章 十七世紀は終わらない
デカルト、スピノザ、そしてホッブズ、ライプニッツ。十七世紀は巨人たちが遊び散らかしていった哲学史のワンダーランドです。アリスの不思議の国の住人たちのように、四人の哲学者はそれぞれ妙なことを言う。「身体がなくても私はある」だとか「事物に変状している神」だとか、あるいは「リヴァイアサンの生成」とか「無数のアダム」とか。これが合理主義哲学だというのだから面白い。本書は様相という観点からアプローチを試みます。デカルトは不可能、スピノザは必然、ホッブズは取り消し不能、ライプニッツは可能、というふうに。すると、どうやらどの哲学にも無限が取り憑いていたことが見えてくる。現代でワンダーランドへの通路を見つけるのは結構コツがいるのです。本書がなにがしかの役に立てれば幸いです。
1951年生まれ。大阪大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学。専攻は、哲学、哲学史。現在、大阪大学大学院文学研究科教授。主な著書に、
『デカルト、ホッブズ、スピノザ』(講談社学術文庫←『精神の眼は論証そのもの』〔学樹書院〕の文庫化)、
『スピノザの世界』(講談社現代新書)、『スピノザ──「無神論者」は宗教を肯定できるか』(日本放送出版協会)、共著に、『ドゥルーズ/ガタリの現在』(平凡社)、
『〈私〉の哲学を哲学する』(講談社)などがある。