「子どもを産もう」と決めることが、人間が一番持ちうる善意というか、ピュアな……プラスの気持ちだと思ったんです。だって、だれも「この子が生まれたら好きなだけいじめてやる」とか思わないでしょう。絶対にいいことをしようと思って産みたいとなるわけですよね。出産を意識する前に妊娠したとしても、「産む」と決めるということは、「何かをしてあげよう」と思って産むわけで。だから産もうとする行為は、人の"いいところの塊"なんですよね。一番書きたかったのは、そのプラスの気持ちの塊だったんです。
でもそのあと違くなっていくこともあるわけです。そういうことも考えたかった、ということはあります。『八日目の蝉』にせよ「週刊朝日」で連載していた「坂の途中の家」にせよ、子供を産む、というプラスの気持ちで行ったはずのことが、なぜかマイナスな方向に転化していくことを多く書いています。
でも、『ひそやかな花園』はまっさらな気持ちの方に重点を置きました。「その後どうなったか」ではなく、産もうと決めたことで「この人たちは善なるものしか望んでいなかった」ということを書きたかったんだと思います。
この小説でいえば、とにかく違う人、中卒、大卒、芸術センスのある人、体操が得意な人、というふうに環境の異なる登場人物を設定しました。
それは「どう生まれたか」ということよりも、環境がいかにその子の性格なり、バックボーンに作用するかを考えたかったからです。私はどちらかといえば遺伝よりもより重要なのは環境やどんな風に育てられたかということだと思うので。
「IN☆POCKET」2月号より引用 |