『グッド・ラック 日本航空123便のコックピットで何が起きたのか』清水保俊

1985年8月12日、午後6時24分。
日本航空123便のコックピットを「ドドーン、ドーン」という爆発音が震わせた。 「スコーク77!」機長が咄嗟に叫んだその言葉は、「緊急事態」を意味していた――。
元JALフライト・エンジニアが、コックピット・ボイス・レコーダやフライト・データ・レコーダをはじめ多数の資料から当時の状況を再現。事故調査委員会の提出した結論とは異なる事故原因をリアルに検証し、祈りを込めて描く「もう一つの結末」。

123便が助かる方法は本当になかったのか?

『グッド・ラック 日本航空123便のコックピットで何が起きたのか』表紙

『グッド・ラック 日本航空123便のコックピットで何が起きたのか』
著者:清水保俊
定価:本体1,500円(税別)

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著者メッセージ

「パンナム機はまだ滑走路上にいるようですね」KLMオランダ航空のフライト・エンジニアの言葉がコックピット・ボイス・レコーダに残っている。機長は「オー、イエス」と応えたにも拘わらず離陸を敢行し、その15秒後に滑走路上のパンアメリカン航空のジャンボ機に乗り上げた。
1977年3月27日、カナリア諸島テネリファ空港で起こった航空機史上最多の583名が犠牲となったジャンボ機同士の事故は、機長がこの進言を「もしも」聞き入れていれば回避できたかもしれなかったのだ。
「マスク、我々もかけますか」日本航空123便のフライト・エンジニアの言葉が残っている。「はい」と言った機長、「かけたほうがいいです」と応えた副操縦士。だが、誰も酸素マスクを装着しなかった。
1985年8月12日、単独航空機事故として史上最多の520名が亡くなった御巣鷹の事故は、パイロットが「もしも」このとき酸素マスクをかぶっていれば、酸欠状態にはならず会話が弾み、そこから事故を回避する知恵も浮かんだはずだ。
史上最悪の航空機事故二件の中に、重大な局面を回避できたかもしれない言葉がボイス・レコーダに残っていることを、いつかは誰かに知ってもらいたいと考えていた。航空の歴史は幾多の惨事を乗り越えて安全を追い求め、「もしも」の研究を怠っていないという我々乗員の矜持がある。
日本航空123便にも「もしも」の局面はあった。それが実現していればどのような展開になったのか。30年前にタイムスリップしてコックピットの彼らの声を蘇らせてみた。この本はそれを「もうひとつの結末」としてまとめたものである。

著者プロフィール

清水保俊(しみず・やすとし)

1947年、兵庫県生まれ。神戸商船大学航海学科卒業。1970年から海運会社にて主に南太平洋を航海士として海上勤務。1978年、日本航空に入社。DC8型機、B747型機フライト・エンジニアとして乗務し、運航訓練部技術教官、運航技術部試験飛行室、運航技術部次長を経験し、飛行機の受領、各種テスト・フライトの経験も多い。総飛行時間は1万1000時間。2007年に国土交通大臣より航空功労賞を授与される。同年、定年退職。その後、羽田整備工場にて見学・航空教室を担当。著書に『最後のフライト ジャンボ機JA8162号機の場合』(講談社)、訳書に『航空事故』『航空テロ』(ともにイカロス出版)がある。

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